就一郎漬本舗は初代、“就一郎”に始まり手づくり一筋に70有余年。信州安曇野穂高に生まれ光と水と緑を命として信州特産漬物の製造を手がけて参りました。以下は初代“就一郎”と就一郎漬本舗の歩みのご紹介です。
大正3年12月6日生まれ
父:上條品市 母:上條やすえ
四人兄弟の長男として生まれる
父の品市は屋号“丸正”という呉服屋を経営しており、就一郎が3歳のときに死去した。
それ以来母と3人の姉妹の生活のため、長野市の長門屋という日用雑貨店に奉公に出る。
尋常高等小学校を出たばかりの本人には、辛く、悲しい日々が続いた。
就一郎は縁あって上川手村の内川勝子と昭和14年に結婚。2男1女に恵まれる。
日本も太平洋戦争に突入し、就一郎も出征する。
昭和20年に無事帰郷。日用品、雑貨、アイスキャンディーなどを手がける。
昭和23年、穂高のわさびに着眼し、まず仲買人から漬物の道へと進む。
昭和43年に次男、和男が家業を継ぐ。
昭和46年に穂高町矢原の地籍に本社工場を建設する。本格的に漬物の製造を開始。
就一郎は児童民生委員として20有余年尽くしたことで表彰される。
昭和62年1月に日赤に入院。昭和63年10月4日に家族の介護もむなしく73年の歴史に幕を閉じたのである。